北海道の市町村名の「由来」

北海道179市町村の地名の由来については、各市町村の公式サイトのまち紹介ページ、および北海道公式サイト「アイヌ語の地名|環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課」に掲載の資料を元に作成しています。

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札幌市の由来・起源

アイヌ語で「乾く・大きい」を意味する「サッポロ(sat-poro)」とする説と、「湿地が・広い・川」を意味する「サㇻポロペッ(sar-por-pet)」とする対照的なふたつの説があります。豊平川の乾いた扇状地の方を見れば「サッポロ」、下流の湿地の方をみて「サㇻポロペッ」。

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函館市の由来・起源

室町時代の享徳3年(1454年)、津軽の豪族「河野政通」が宇須岸(ウスケシ:アイヌ語で湾の端の意)と呼ばれていた漁村に館を築き、この館が箱に似ているところから「箱館」と呼ばれることになりました。この館跡は今の基坂を登ったところです。別の説は、アイヌ語で「浅砦」を意味する「ハㇰチャシ(hak-casi)」。明治2年(1869年)、蝦夷が北海道となり、箱館も函館と改められました。

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小樽市の由来・起源

昔この地がアイヌ語で「砂の・中の・川」を意味する「オタルナイ(ota-or-nay)」と呼ばれていたことに由来します。その他には、「砂・川」を意味する「オタナイ(ota-nay)」、「砂浜・のところの・川」を意味する「オタオㇿナイ(ota-or-nay)」などの説があります。江戸時代から、北海道の日本海側では鰊(にしん)漁が盛んで、鰊を求めて本州から多くの人々が移住してきました。元治2年(1865年)、漁業を中心とした集落が建ち、幕府はオタルナイを「村並み」とし、明治2年に「小樽」と改めました。

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旭川市の由来・起源

市内を流れる忠別川をアイヌが「チュクペッ」と呼んでいると和人が聞き取り、それを「チュプペッ(cup-pet):太陽・川(転じて)日が昇る川」と解釈して、1890年(明治23年)に命名されたものです。「チュㇰペッ」の音の解釈については、cuk-pet(cuk-cep):秋・川(秋・魚(転じて)鮭)、ciw-pet:波・川とする3つの説があります。

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室蘭市の由来・起源

アイヌ語で「モルラン(mo-ruran)」と呼ばれており、正確には「小さな・下り路」を意味する「モ・ルエラニ(mo-ruerani)」に由来しています。明治の半ばごろまでは室蘭と書いても「モロラン」と呼んでいたのが、いつの間にか字に引かれて「むろらん」になってしまった。

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釧路市の由来・起源

江戸初期に松前藩が「クスリ場所」として拠点を置いた地で、「クスリ(kusuri)」に由来する地名。音の似た「釧(くしろ)」の字が当てられ、明治に入って「釧路村」と命名された。クスリの意味は、アイヌ語の「クㇱル(kus-ru:通る・道)」や「クスリ(kusuri:温泉・薬)」「クッチャロ(kutcaro:のど)」など諸説あり。

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帯広市の由来・起源

アイヌ語で「(川尻が・いくつにも裂けている・ところ)」を良いする「オペレペㇾケㇷ゚(o-pere-perke-p)がなまってオベリベリ、十勝平野の広大さにちなんで「広」加えられ、帯広(おびひろ)になったと考えられています。

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北見市の由来・起源

松浦武四郎(江戸時代後半から明治時代までに活躍した探険家)が命名した国名「北見国」からであり、その「北見」の由来は、過去のこの地方域の通称「北海岸」と快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったものです。

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夕張市の由来・起源

アイヌ語で「鉱泉・の湧き出るところ」を意味する「ユーパロ(yu-paro)」が転訛したものといわれています。その他に、「それの・口」を意味する「イパㇻ(i-par)」の説があります。

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岩見沢市の由来・起源

アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市です。明治11年に幌内煤田を開採するため、開拓使は札幌~幌内間の道路開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部「幾春別川」の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれています。当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤(ゆあみさわ)」と称するようになり、これが転訛して「岩見澤(いわみざわ)」と呼ばれるようになったといわれています。

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網走市の由来・起源

アイヌ語で「我らが・見つけた・岩」を意味する「チパシリ(ci-pa-sir)」から出たとも、「漏る・地」の意味の「アパシリ(apa-siri)」)あるいは「幣場のある・島)の「チパシㇼ(cipa-sir)」などの諸説があって定まりませんが、いずれにしろ「アパシリ」というアイヌ語を漢字にあてたものとされています。幕末の探検家である松浦武四郎の『戌午日誌』では「網走湖口の幣場であった立岩チパシㇼがアバシリの名の起源」と書いています。

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留萌市の由来・起源

アイヌ語の「ルㇽモッペ」が語源。ルルは(汐)モは(静)ヲッは(ある)ペは(水)のこと。「ルㇽモオッペ(rur-mo-ot-pe:潮汐が・静か・でいつもある・もの)」、「ルㇽモペ(rur-mo-pe:海の潮・静かな・もの)」とも。「汐が奥深く入る川」という意味で、留萌市を流れる留萌川から名づけられている。

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苫小牧市の由来・起源

以前、苫小牧川が流れる一帯を、当時の河川名であったマコマイ(アイヌ語で「山奥に入っていく川」)と呼んでいました。沼のあった旧樽前山神社付近一帯はアイヌ語で沼の意味がある「ト」の字をつけて「トマㇰオマイ(to-mak-oma-i:沼の・山の方・に入っている・川)」と呼ばれるようになり、今日の苫小牧になりました。

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稚内市の由来・起源

アイヌ語で「冷たい・水(飲み水)の・川」を意味する「ヤㇺワッカナイ(yam-wakka-nay)」に由来しています。

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美唄市の由来・起源

アイヌ語で「カラス貝・多い・ところ」を意味する「ピパオイ(pipa-o-i)」に由来しています。

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芦別市の由来・起源

アイヌ語で「灌木・川(低木の中を流れる川)」を意味する「ハシュペッ(as-pet)」、「立つ・川」の「アㇱペッ(as-pet)」の2つの説があるといわれています。

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江別市の由来・起源

アイヌ語で「チョウザメ・たくさんいる(鮫のいる川)」を意味する「ユペオッ(yupe-ot)」「ユベオツ」、「それの・入り口」の「イプツ(i-put)」が語源とされています。

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赤平市の由来・起源

アイヌ語で「山稜の・崖」を意味する「アカピラ(滝川公園の沼の崖が発祥)」に由来する説と、空知川崖が赤いことから「赤い・岩」」を意味する「フレピラ(hure-pira)」と呼び、フレを赤と訳してピラには平の字をあてた説があります。

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紋別市の由来・起源

アイヌ語で「静かな・川」を意味する「モペッ(mopet)」に由来しています。紋別市の中心地の地名が、川がないのに「モペッ」(静かな川の意味)と呼ばれるのは、もともとは元紋別を流れている「藻鼈川」を指したもので、モペッコタンに住んでいたアイヌの人たちが付けた地名です。

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士別市の由来・起源

アイヌ語で「本当の、大きい・川(大いなる川)」を意味する「シペッ(si-pet)」に由来しています。

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名寄市の由来・起源

アイヌ語で「川・のところ・の口」を意味する「ナイオㇿプトゥ(nay-or-putu)」に由来しています。これが「ナヨロフト」と簡略されて「ナヨロ」となりました。

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三笠市の由来・起源

空知集治監にあった裏山が奈良の三笠山に似ているという、囚人が望郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいました。明治39年(1906年)、市来知・幌内・幾春別の三村合併のときにこの山の名を取って三笠山村としました。昭和17年に三笠町が誕生し、昭和32年に三笠市(北海道内で22番目の市)となりました。

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根室市の由来・起源

アイヌ語で「木・つまる・ところ(樹木の繁茂するところ)」を意味する「ニムオロ(ni-mu-oro)」に由来しているといわれています。他にも説があります。

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千歳市の由来・起源

かつて千歳一帯はアイヌ語で「大きい・くぼみ」という意味の「シコッ(si-kot)」と呼ばれていました。文化2年(1805)年、シコツ場所担当の箱館奉行調役並山田鯉兵衛嘉充が箱館奉行の羽太正養に新しい地名を付けてほしいと願い出ました。当時、千歳は多くの鶴が空を舞い、川辺は鶴の生息地となっており、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と命名されました。

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滝川市の由来・起源

アイヌ語で「空知川・の河口」を意味する「ソラㇷ゚チ・プトゥ(so-rapci-putu)」を和人は空知太と呼んでいました。空知川の中流には滝のような段差があり、アイヌの人々が「滝のかかる川・滝の川」の意味の「ソラㇷ゚チペッ(so-rapci-pet)」 と呼んでおり、意訳されたことによって滝川という地名がつけられました。

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砂川市の由来・起源

アイヌ語で「砂浜が・ついている・川(歌志内川))」を意味する「オタウㇱナイ(ota-us-nay)」を意訳したものです。石狩川と空知川に抱かれるような地形の砂川には、上流に歌志内を源とする「ペンケオタウㇱナイ川」と、下流に市街の中央を流れる「パンケオタウㇱナイ川」があり、アイヌ語の地名「オタウㇱナイ」が生まれたものと考えられています。元来は「奈江村」でした。

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歌志内市の由来・起源

市内を西に向かって二分して流れる「ペンケウタシュナイ川」の名に由来しており、アイヌ語で「砂浜・ついている・川」を意味する「オタウシナイ(ota-us-nay)が語源です。明治24年、北海道炭砿鉄道株式会社の鉄道開通の際に、歌志内と称して地名にしました。

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深川市の由来・起源

アイヌ語で「深い・川」を意味する「オオホ・ナイ(ooho-nay:大鳳川)」)が意訳されたという説があります。大鳳川とは、北海道深川市の標高約130mの丘陵地に発し、多数の支川と合流しながら、秩父別町を貫流し妹背牛町で雨竜川に注ぐ幹流路延長17.8km、流域面積88.2km2の石狩川の二次支川です。

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富良野市の由来・起源

アイヌ語で「硫黄臭い悪水の溜まっている土地」の「フラヌイ(hura-nu-i)」に由来しています。諸説あり、十勝岳附近の状況を称した「赤色の溶岩や焼石が沢山あるところ」の意味の「フラヌ」、「硫黄臭き火炎の土地」の「フーラヌイ」があり、いずれも十勝岳の噴気と臭気に由来しています。

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登別市の由来・起源

アイヌ語で「水の色の濃い・川」を意味する「ヌプㇽペッ(nupur-pet)」という音に漢字をあてはめたものです。ヌプㇽは霊力を指す言葉で、登別市出身のアイヌ語学者の知里真志保は、それが「強い、どぎつい」といった感じを表し、色とか食物の味等が「濃い」意味に使われるようになったことから「色のこい川」と訳していました。

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恵庭市の由来・起源

アイヌ語で「頭が・尖っている・山(現在の恵庭岳を指す)」を意味する「エエンイワ(e-en-iwa)」に由来して転訛されたといわれています。

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伊達市の由来・起源

明治3年(1870年)、亘理(わたり)伊達家の当主伊達邦成(だてくにしげ)とその家来たちが集団で北海道に移り住みました。人が住めるような土地ではなかった場所を、みんなで力をあわせて畑や道路、家をつくり、村ができました。町の名前は、伊達家の名前をとって「だて」とつけました。これが伊達市の始まりです。

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北広島市の由来・起源

明治17年以降地内に入植し、広島開墾地を開拓した和田郁次郎ら18戸の出身地の故郷である広島県の県名にちなみます。山陽本線の広島があるため、北広島と呼ぶことになりました。

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石狩市の由来・起源

アイヌ語で「美しく・作る・川(神様がつくった美しい川)」を意味する「イㇱカㇻペッ(is-kar-pet)」や「回流川(曲がりくねって流れる川)」を意味する「イシカㇻアペッ(iskar-a-pet)」に由来する石狩川から、石狩と名付けられました。他にも、「塞がる」を意味する「イシカリ(isikari)」と、諸説あり。

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北斗市の由来・起源

平成18年2月1日、旧上磯町と旧大野町が合併し、北斗市が誕生しました。一般公募の応募者からは「北の空(大地)」にさんぜんと光り輝く星(街)(北斗星)。他の市町村の範となると同時に、個性を失わず独自の輝きをもつ街づくり」との思いが含まれており、「北斗とは小さな星がかたまりあって一つの核をなすともいわれており、上磯町と大野町の輝かしい二つの星が一つの北斗をつくり上げ、これから立派なまちづくりを進めていこう」という願いが込められています。

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当別町の由来・起源

アイヌ語で「沼の・ある・川」を意味する「トペッ(to-pet)」に由来しています。

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新篠津村の由来・起源

篠津とはアイヌ語で「山・崎」を意味する「シㇼノッ(sir-not)」、「本流が同じ深さで、ゆるやかに流れる」を意味する(シヌッチ)」、「大きな原野が沼(のような)」を意味する「シノト)」等の意味のようです。明治29年、篠津村(現:江別市篠津)から分村したことから名付けられました。

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松前町の由来・起源

「万堂宇満伊犬(まどうまいぬ)」という地名、アイヌ語で「婦人・いる・ところ」を意味する「マッ・オマイ(mat-oma-i)」「マト・マイ」に由来しているといわれています。

松前町のふるさと納税

福島町の由来・起源

アイヌ語でオリカナイ(折加内)と言われてきましたが、これはアイヌ語の「後戻りする・川(潮が入ってきて河水が逆流する川)」を意味する「ホロカナイ(horka-nay)」です。つまり、現在の福島川の河口付近が大谷地になっていて、河水が滞流し、そこに海水が入り込んでいたことを地名としたものです。寛永元年(1624年)、月崎神社の御神託により、藩に願い出て福島村と改村したといわれています。この福島の地名については、現在の松前町の城跡地域を古くは福山と呼んでおり、それに対する福島なのか、本州対岸の青森県内の福島の地名を吉祥字として吸収して地名としたのかは定かではありません。

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知内町の由来・起源

アイヌ語で「鳥が・群居する・ところ」を意味する「チㇼオッイ(cir-ot-i)」に由来しています。知内は鷹の産地として有名で、松前藩が徳川将軍家に鷹狩り用に献上する15羽の鷹のうち、半数以上は知内で捕獲したものと言われています。

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木古内町の由来・起源

アイヌ語で「登る・沢(高く昇る源)」を意味する「リコナイ」、「波・入れる・川(潮の差し入る川)」を意味する「リㇼオナイ(rir-o-nay)」から転訛したものといわれています。

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七飯町の由来・起源

アイヌ語で「もっと・沢」を意味する「ナアナイ(naa-nay)」、「豊かな沢(いくつもの川)」を意味する「ヌアンナイ」に由来しているといわれています。

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鹿部町の由来・起源

アイヌ語で「キハダ(一名シコロ)のあるところ」を意味する「シケルペ」に由来しています。イナウ(神祀る木弊)・薬用・染料他に使う貴重な木であるキハダが多い事からそう呼ばれ、後に転訛して「鹿部」となりました。「背負う・ところ」を意味する「シケペ(sike-pe)」の説もあります。

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森町の由来・起源

アイヌ語で「樹木・群生する・川」を意味する「オニウㇱペッ(o-ni-us-pet)に由来しており、「オニウシ」が意訳されて「森」になりました。漁業の地として知られ、江戸時代初期より、箱館周辺の漁民がニシンなどのさかなを求めて出稼ぎに来たところでした。平成17年4月1日、森町と砂原町が合併して、あたらしい森町が誕生しました。

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八雲町の由来・起源

アイヌ語で「温泉が・下る」を意味する「ユーラㇷ゚(yu-rap)」と呼ばれていた場所で、「八雲」の名称は、1878(明治11)年に山越内村遊楽部の開墾事業を始めた徳川慶勝の意向によって命名されました。命名に至った経緯については、明らかではありませんが、須佐之男命(「日本書紀」では素戔嗚尊)が出雲の国の須賀において、新婚のための宮を造りになった時に詠んだ歌によるといわれています。「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を(古事記)」

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長万部町の由来・起源

アイヌ語で「川尻・横になっている・川)」を意味する「オサマㇺペッ」に由来しています。その他の説には「雪・ひらめ(神が大ヒラメを釣り、雪解けの時期に山にヒラメの形の雪が残るときが漁期という伝承)」を意味する「ウパㇱサマㇺペ(upas-samampe)」、「川尻・カレイ類の魚(カレイがたくさんとれる河口)」を意味する「オサマㇺペ(o-samampe)」があります。

長万部町のふるさと納税

江差町の由来・起源

アイヌ語で「食べる・コンブ・がついている(昆布が獲れるところ)」を意味する「エサㇱウㇱ(e-sas-us)」や、「頭を・浜・についている・ところ(岬が突き出しているところ)」を意味する「エサウㇱイ」に由来している説など、諸説あります。

江差町のふるさと納税

上ノ国町の由来・起源

15世紀ころ(足利時代)、北海道(夷島)南部の日本海側は上ノ国(かみのくに)、太平洋側は下の国(しものくに)と称されていました。勝山館を擁し、日本海・北方交易の拠点として栄えたこの地に上ノ国(かみのくに)の名前が残ったことに由来します。

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厚沢部町の由来・起源

アイヌ語で「桜鳥・川」を意味する「ハチャㇺペッ(hacam-pet)」や、「楡皮・干すところ」を意味する「アッサム」、「紅粉ひわに似た小鳥」を意味する「ハチャㇺ(hacam)」に由来する説など、諸説があります。

厚沢部町のふるさと納税

乙部町の由来・起源

アイヌ語で「川尻に・沼が・ある・もの」を意味する「オトウンペ(o-to-un-pe)」、または「川尻・沼・もの」を意味する「オトペ(o-to-pe)」に由来して転化したといわれており、川は現在「姫川」と命名されています。

乙部町のふるさと納税

奥尻町の由来・起源

アイヌ語で「そこの・向こう側・の・島(この向島)」を意味する「イクㇱタモシㇼ(i-kus-ta-mosir)」や、「そこの・向こう側・にある・島(向島)」を意味する「イクㇱウンシㇼ(i-kus-un-sir)」に由来しているといわれています。歴史は古く、約8千年前の縄文時代早期に人が移り住み、多くの貴重な遺跡や遺物が出土しています。

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今金町の由来・起源

開拓功労者の今村藤次郎と金森石郎の頭文字をとって命名されたという中心市街地の字名を採用している。

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せたな町の由来・起源

「せたな」の語源はアイヌ語で「犬・川(犬の川)」を意味する「セタルペシュペナイ」が略されて「セタナイ(seta-nay)」となり、それが転訛したといわれています。平成町村合併の際、新町名を公募して名付けられました。

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島牧村の由来・起源

アイヌ語で「背後に岩がある」を意味する「スマコマㇰイ(suma-ko-mak-i)」から転化したといわれています。明治5年、永豊村に戸長役場を設置して島牧郡一円を統轄。

島牧村のふるさと納税

寿都町の由来・起源

アイヌ語で「葦・川」を意味する「スㇷ゚キペッ(supki-pet)」が、町内を流れる川「朱太(シュプト))」に由来しているといわれています。

寿都町のふるさと納税

黒松内町の由来・起源

アイヌ語で「和人の女性の・沢(和人の女のいる沢)」を意味する「クㇽマッナイ(kurmat-nay)」に由来しています。昔、出稼ぎの漁夫を慕ってきた妻たちが、この地でシケに遭い、そのまま滞留したといわれています。

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蘭越町の由来・起源

アイヌ語で「カツラ・群生する・ところ(桂の木が多いところ)」を意味する「ランコウㇱイ」に由来しています。明治32年、尻別村(旧磯谷村、現寿都町の一部)から分村して南尻別村となり、昭和29年12月1日、町制施行にあたって役場所在地が蘭越にあることから町名を蘭越町と改称し現在に至っています。

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ニセコ町の由来・起源

アイヌ語で「絶壁・に向かって・いる・川の・山(ニセイコアンペッ川の山)」を意味する「ニセイコアンヌプリ(nisey-ko-an-nupuri)」に由来しています。現在のニセコアンンプリです。元来は「狩太町(かりぶと)」でした。

ニセコ町のふるさと納税

真狩村の由来・起源

アイヌ語で「奥の方・を回っている・川(羊蹄山を取り巻く川)」を意味する「マㇰカリペッ(mak-kari-pet)」に由来しています。

真狩村のふるさと納税

留寿都村の由来・起源

アイヌ語で「道・の根もと(道が山のふもとにある)」を意味する「ルスッ(ru-sut)」に由来しています。

留寿都村のふるさと納税

喜茂別町の由来・起源

アイヌ語で「山奥・にある・川」を意味する「キㇺオペッ(kim-o-pet)」に由来しています。その他に、「山・に入る・川」を意味する「キㇺウンペッ(kim-un-pet)」に由来する説があります。

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京極町の由来・起源

明治43年4月1日、胆振国虻田郡倶知安村から分離し、北海道2級村「東倶知安村」として誕生。その後、大正12年に1級村政に昇格し、昭和13年、村の開基者京極高徳子爵所有の京極農場が開放されたのを記念して、昭和15年に「京極村」と改称されました。昭和37年5月1日より町制。

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倶知安町の由来・起源

アイヌ語で「くだのようなところを・流れ出る・ところ」を意味する「クッサンイ(kut-san-i)」に由来しています。それが尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名である「クッシャニ」に転訛し「クドサニ」へ変わって倶登山川となりました。明治26年公示。漢字をあてたのは当時の北海道庁参事官である白仁武。

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共和町の由来・起源

昭和30年、前田村・発足村・小沢村3村が合併した際に村名を公募して共和村と名付けられました。共同親和、和して同ぜず、年号は昭和、こうした点から選定されてものです。

共和町のふるさと納税

岩内町の由来・起源

アイヌ語で「硫黄・沢(硫黄の川)」を意味する「イワウナイ(iwaw-nay)」や、「山・川」を意味する「イワナイ(iwa-nay)」、「軽石・多い・川」を意味する「イェオナイ(ye-o-nay)」に由来する説など、諸説あります。

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泊村の由来・起源

アイヌ語で「静かな・泊地」を意味する「モイレトマリ(moyre-tomari)」や、「マスを寄せる入海」を意味する「ヘモイトマリ」に由来する説があります。

泊村のふるさと納税

神恵内村の由来・起源

アイヌ語で「神・川(美しい神の沢)」を意味する「カムイナイ(kamuy-nay)」に由来しています。昔は「古宇(フルウ)」と呼ばれていました。

神恵内村のふるさと納税

積丹町の由来・起源

アイヌ語で「夏・村(夏場所)」を意味する「サㇰコタン(sak-kotan)」に由来しています。アイヌ時代には冬と夏で居どころを変えることが少なくなく、夏の好漁場だったため。

積丹町のふるさと納税

古平町の由来・起源

アイヌ語で「赤い・崖」を意味する「フレピラ(hure-pira)」や、「丘の・崖」を意味する「フㇽピラ(hur-pira)」、「影・崖」を意味する「クㇽピラ(kur-pira)」に由来するなど、諸説あります。古くから人の住む地域で、江戸時代には松前藩の統治下で「古比羅」「フルビラ場所」と呼ばれ、ニシン漁場として拓かれました。古平という地名は現在の古平川と呼ばれている川(もとはポロベツ)の名前で、この付近の大事な川でした。

古平町のふるさと納税

仁木町の由来・起源

明治12年(1879年)11月、仁木竹吉(にき たけよし)ら360余名が徳島県(現在の徳島県吉野川市)から集団で入植したのが和人定住の始まりで、翌年に仁木村が成立しました。 仁木町の名は仁木竹吉にちなんでいます。

仁木町のふるさと納税

余市町の由来・起源

江戸時代のアイヌ語通辞(通訳)の上原熊次郎によると「ヨイチ。夷語イヨチなりユウオチの略語にて即温泉の有る処と訳す。此川上に温泉のある故地名になす由」。「温泉・いっぱいある・ところ」を意味する「ユオッイ(yu-ot-i)」。明治時代に活動したアイヌ語地名研究者の永田方正によると「イオチ。蛇多く居る処の義。余市村のアイヌ忌みて実を語らずと雖ども,他部落のアイヌは蛇処と云ふを知るなり」。「それ・多くい流・ところ」を意味する「イオッイ(i-ot-i)」。このふたつの見解を自身の著書『北海道の地名』で紹介している山田秀三さんは、「特別の根拠がない限りは,この両説があったとしておきたい」としています。

余市町のふるさと納税

赤井川村の由来・起源

アイヌ語で「赤い・川」を意味する「フレペッ(hure-pet)」に由来しています。水が特に赤いわけではなく、古い火山地帯で赤土が多いからともいわれます。松浦武四郎『丁巳日誌』には「シマウシベツ」、間宮図には「シマウシベツ」と書かれています。古い大江村(現在の仁木町)から明治32年に分村して赤井川村役場が置かれ、明治39年4月に2級町村制施行により正式に赤井川村として誕生しました。

赤井川村のふるさと納税

南幌町の由来・起源

村名であった「幌向(ホロムイ)」は、アイヌ語で「大きい・川が曲がっていて、水がゆったり流れているところ」を意味する「ポロモイ(poro-moy)」に由来しています。夕張鉄道の駅名「南幌向(みなみほろむい)」から「南幌(みなみほろ)」としたところ、読みにくいため「南幌(なんぽろ)」と改名しました。

南幌町のふるさと納税

奈井江町の由来・起源

アイヌ語で「砂多き川」の意味する「ナヱ」や、「谷川(上川アイヌは谷をナエといい、川をナイという)」を意味する「ナエイ(naey)」、「その川」を意味する「ナイエ(naye)」に由来する説など、諸説あります。

奈井江町のふるさと納税

上砂川町の由来・起源

母町である砂川は、アイヌ語で「砂浜が・ついている・川」を意味する「オタウシナイ(ota-us-nay)」に由来して砂川と命名され、砂川の上流にあることから「上砂川」と決定し、分町によって「上砂川町」と命名されました。

上砂川町のふるさと納税

由仁町の由来・起源

アイヌ語で「温泉あるところ」を意味する「ユウニ(yu-uni)」に由来しています。明治25年、戸長役場がおかれ由仁村が誕生しました。昭和25年、町制施行。

由仁町のふるさと納税

長沼町の由来・起源

かつて西1線北15番地付近にアイヌ語で「長い・沼」を意味する「タンネト(tanne-to)」という沼があり、その沼の名前に由来しています。現在はタンネトーの碑が残されています。

長沼町のふるさと納税

栗山町の由来・起源

アイヌ語で「クリ・樹・群生している・ところ」を意味する「ヤㇺニウㇱイ(yam-ni-us-i)」に由来しています。

栗山町のふるさと納税

月形町の由来・起源

明治14年(1881年)、樺戸集治監の初代典獄として月形潔が赴任。その姓に由来して月形村が誕生しました。

月形町のふるさと納税

浦臼町の由来・起源

アイヌ語で「笹・川」を意味する「ウラシナイ(uras-nay)」、「梁が・多い・川」を意味する「ウライウシナイ(uray-us-nay)」に由来するなど、諸説あります。梁・簗(やな)とは、川の瀬などで魚をとるための仕掛けのことで、昔は鮭・鱒をとるために簗をかけました。

浦臼町のふるさと納税

新十津川町の由来・起源

明治22年に奈良県十津川村の住民600戸が移住したところで、同村の文化を伝えることを願い命名されました。

新十津川町のふるさと納税

妹背牛町の由来・起源

アイヌ語で「イラクサ・ある・ところ」を意味する「モセウㇱイ(mose-us-i)」に由来しています。当初は「望畝有志」と書いていましたが、明治31年に「妹背牛駅」が設置されたことにより、以後は「妹背牛」と書くようになりました。

妹背牛町のふるさと納税

秩父別町の由来・起源

アイヌ語で「我ら・通る・川(通路のある川)」を意味する「チクㇱペッ(ci-kus-pet)」、「舟が・通る・もの」を意味する「チㇷ゚クㇱペ(cip-kus-pe)」に由来する説など、諸説あります。

秩父別町のふるさと納税

雨竜町の由来・起源

アイヌ語で「鵜・たくさんいる・川」を意味する「ウリㇼオペッ(urir-o-pet)」に由来するといわれています。現在の雨竜川の河口に多くの鵜が生息していたことから、このような名が付けられたといわれています。

雨竜町のふるさと納税

北竜町の由来・起源

明治32年、雨竜村から分離して成立。雨竜村の北に形成された市街であったため「北竜」と称されました。

北竜町のふるさと納税

沼田町の由来・起源

明治27年、富山県小矢部市の沼田喜三郎翁ら18戸の移住から沼田町の開拓が始まりました。開拓に貢献した喜三郎翁の名字に由来しています。沼田町の「夜高あんどん祭り」は、喜三郎翁の出身地富山県小矢部市のお祭りを伝承したものです。

沼田町のふるさと納税

鷹栖町の由来・起源

アイヌ語で「鳥・いる・ところ(大きな鳥(鷹)の住むところ(巣))」を意味する「チカㇷ゚ウンイ(cikap-un-i)」に由来しており、意訳されて「鷹栖」になりました。まだ未開の地だったころにはトンビやハイタカ、オオワシなどの大きな鳥が生息していました。

鷹栖町のふるさと納税

東神楽町の由来・起源

東神楽町は、上川離宮予定地のため御料地となっていましたが、明治27年(1894年)に貸し下げられ、開拓が進められました。当時は神楽村(現旭川市)の一部で、アイヌ語で「囃し・つけている・ところ(神々の遊ぶところ)」を意味する「ヘッチェウㇱイ(hetce-us-i)」に由来して意訳されたものです。 昭和18年(1943年)に分村し、母村の東側にあったことから東神楽村となりました。昭和41年(1966年)には町制施行。

東神楽町のふるさと納税

当麻町の由来・起源

アイヌ語で「沼・に行く・川」を意味する「トオマナイ(to-oma-nay)」に由来しています。ナイが落とされて現在の読み方になったものの、経緯は不明です。

当麻町のふるさと納税

比布町の由来・起源

アイヌ語で「石のごろごろしている・川」を意味する「ピピペッ(pipi-pet)」、「石の・多い・ところ」を意味する「ピオㇷ゚(pi-o-p)」に由来している説があります。昔は湿地帯が多かったことや、石狩川の川床には石が多かったため、転訛して名付けられたと考えられています。

比布町のふるさと納税

愛別町の由来・起源

アイヌ語で「矢・川」を意味する「アイペッ(ay-pet)」に由来しています。この地域は急傾斜の土地で「水が矢のように速く流れる」の説や、「昔十勝アイヌの酋長が矢に当たって転落し、矢を流した川」などの伝説があります。

愛別町のふるさと納税

上川町の由来・起源

明治2年(1869年)、開拓使判官の松浦武四郎がアイヌ語で「川上・の・人の・土地(神居古潭を境にして石狩川の川上にいる人の部落)」を意味する「ペニウンクㇽコタン(peni-un-kur-kotan)」を意訳して命名したものといわれています。

上川町のふるさと納税

東川町の由来・起源

忠別川のアイヌ語名「東・川(日の出る川)」を意味する「チュㇷ゚ペッ」を意訳して付けられました。

東川町のふるさと納税

美瑛町の由来・起源

アイヌ語で「油っこい、油ぎっている」を意味する「ピイェ(piye)」に由来しています。美瑛川の水源には硫黄山(十勝岳)があるため川水が濁り、かつては乳白色となって脂ぎった状態で流れていたことに関係しています。

美瑛町のふるさと納税

上富良野町の由来・起源

アイヌ語で「硫黄臭い悪水の溜まっている土地」の「フ ラヌイ(hura-nu-i)」に由来しています。諸説あり、十勝岳附近の状況を称した「赤色の溶岩や焼石が沢山あるところ」の意味の「フラヌ」、「硫黄臭き火炎の土地」の「フーラヌイ」があり、いずれも十勝岳の噴気と臭気に由来しています。上富良野の起源は、富良野川の上流にあるため、(上)をつけたものです。

上富良野町のふるさと納税

中富良野町の由来・起源

アイヌ語で「硫黄臭い悪水の溜まっている土地」の「フ ラヌイ(hura-nu-i)」に由来しています。諸説あり、十勝岳附近の状況を称した「赤色の溶岩や焼石が沢山あるところ」の意味の「フラヌ」、「硫黄臭き火炎の土地」の「フーラヌイ」があり、いずれも十勝岳の噴気と臭気に由来しています。中富良野の起源は、富良野川の中流にあるため、(中)をつけたものです。

中富良野町のふるさと納税

南富良野町の由来・起源

明治41年、下富良野村戸長役場(現在の富良野市)から分離創設したときに、富良野の南方に位置するところから「南富良野」と名付けられました。「富良野」はアイヌ語で「硫黄臭い悪水の溜まっている土地」の「フラヌイ(hura-nu-i)」に由来しています。

南富良野町のふるさと納税

占冠村の由来・起源

アイヌ語で「本流の・鵡川」を意味する「シムカㇷ゚(si-mukap」に由来しています。「とても静かで平和な上流の場所」を意味する「シモカㇷ゚(shimokap)?」という説もあり。いずれにせよ、その名の通り今も変わらず、静かで平和な村です。

占冠村のふるさと納税

和寒町の由来・起源

アイヌ語で「ニレ樹・の・傍ら」を意味する「ワッサㇺ(wat-sam)」に由来しています。ニレの木が繁茂していたところから名づけられたものです。昔は「輪寒」あるいは「和参」とも書かれていました。

和寒町のふるさと納税

剣淵町の由来・起源

アイヌ語で「ハンノキ・の木・川(ハンノキの多い川=赤楊川)」を意味する「ケネニペッ(kene-ni-pet)」、「赤楊川の川口」を意味する「ケネペップトゥ(kene-pet-putu)、「ハンノキ(・川)・その川口」を意味する「ケネ(ペッ)プチ(kene(-pet)-puci)」に由来する説など、諸説あります。

剣淵町のふるさと納税

下川町の由来・起源

アイヌ語で「下流側の・ヌカナン川」を意味する「パンケヌカナン(panke-nukanan)」を意訳したものです。 町内を流れる名寄川支流の下川パンケ川の沿岸を、このように呼んでいたといわれています。

下川町のふるさと納税

美深町の由来・起源

アイヌ語で「石原(石の多い場所)」を意味するピウカ(piwka)に由来しています。本町の開拓者である平喜三郎氏が小舟で天塩川を下り入植した明治32年が開基です。

美深町のふるさと納税

音威子府村の由来・起源

アイヌ語で「川尻・泥んこである・もの(濁りたる泥川、漂木の堆積する川口、または切れ曲がる川尻)」を意味する「オトイネㇷ゚(o-toyne-p)」に由来しています。昭和38年に常盤村から音威子府村に改称しました。

音威子府村のふるさと納税

中川町の由来・起源

元来はアイヌ語で「小さい・崖」を意味する「ポンピラ(pon-pira)」と呼ばれていました。入植当初は無名村であったため、所属郡名である中川郡より命名されました。天塩川中流の意味。

中川町のふるさと納税

幌加内町の由来・起源

アイヌ語で「後戻りする・川」を意味する「ホㇿカナイ(horka-nay)」に由来しています。ほろかないの由来は、「逆戻りする川」という意味があり、町の南部を流れる幌加内川を指した、アイヌ語の 「horka-nay ホㇿカナイ」の意とされています。

幌加内町のふるさと納税

増毛町の由来・起源

鰊(ニシン)が群来(くき)ると海一面にかもめが飛ぶことから、アイヌ語で「かもめ・のところ(かもめの多いところ)」を意味する「マシケイ(mas-ke)」に由来しています。

増毛町のふるさと納税

小平町の由来・起源

アイヌ語で「川尻に・崖・ある・川」を意味する「オピラウㇱペッ(o-pira-us-pet)」に由来しています。

小平町のふるさと納税

苫前町の由来・起源

アイヌ語で「エゾエンゴサク・ある・ところ」を意味する「トマオマイ(toma-oma-i)」に由来しています。「岬・にある・入江」を意味する「エンルㇺオマモイ」という説もあります。

苫前町のふるさと納税

羽幌町の由来・起源

アイヌ語で「流出・広大の・川(広大な川の流れる地)」を意味する「ハポロペッ(ha-poro-pet)」に由来しているといわれています。その他、「柔らかい」を意味する「ハプㇽ(hapur)」の説があります。

羽幌町のふるさと納税

初山別村の由来・起源

アイヌ語で「滝が・そこで・流れ出ている・川」を意味する「ソエサンペッ(so-e-san-pet)に由来しています。他には「シシャモ・川」を意味する「スサㇺペッ(susam-pet)」という説がありますが、この地方ではシシャモはとれません。「松前史(1781年天明元年)」に「モロクベツ・シュシャベツ・フラレベツ・オタコベツ」の村の主要地名があります。江戸時代の調査・探検の記録が古文書に散見され、番屋、休憩所や烽火台、弁天社があり、アイヌの人たちが居住。秋田藩・庄内藩の管轄を経て、明治13年に苫前村戸長役場管轄。明治27年羽幌村戸長役場管轄。明治34年9月に初山別村戸長役場を創設(開基)。明治42年4月、2級町村制が施行され村名を「初山別村」としました。

初山別村のふるさと納税

遠別町の由来・起源

アイヌ語で「相・話する・川」を意味する「ウイェペッ(u-ye-pet)」に由来しています。天塩山中のアイヌがここで海浜のアイヌと相話するのを楽しみとしていたため。その他には「二股の川」を意味する「ウエペッ」、「悪い・川」を意味する「ウェンペッ(wen-pet)」などの説があります。

遠別町のふるさと納税

天塩町の由来・起源

アイヌ語で「梁・ある・ところ」を意味する「テㇱウンイ(tes-un-i)」、「梁・ついている・ところ」を意味する「テㇱウㇱイ(tes-us-i)」、「梁・多い・川」を意味する「テㇱオペッ(tes-o-pet)」から転訛したものといわれています。いずれも梁(水中や木・竹・杭等を並べ水流を堰塞して、魚を捕獲する仕掛け)に関連しています。

天塩町のふるさと納税

猿払村の由来・起源

アイヌ語で「葦原の・川口」を意味する「サㇻプッ(sar-put)」に由来しています。現在の浜猿払。

猿払村のふるさと納税

浜頓別町の由来・起源

頓別はアイヌ語で「湖・の(に入る)・川」を意味する「トウンペッ(to-un-pet)」に由来しています。大正5年、頓別は枝幸村から分村し頓別村として独立。昭和26年、町制が施行されて頓別村から「浜頓別町」となりました。

浜頓別町のふるさと納税

中頓別町の由来・起源

頓別はアイヌ語で「湖・の(に入る)・川」を意味する「トウンペッ(to-un-pet)」に由来しています。頓別の中流で「中頓別」との解釈が定説です。

中頓別町のふるさと納税

枝幸町の由来・起源

アイヌ語で「頭が・浜・についている・ところ=岬」を意味する「エサウㇱイ(e-sa-us-i)、「コンブ」を意味する「エサㇱ」に由来しているという説があります。

枝幸町のふるさと納税

豊富町の由来・起源

アイヌ語で「食物(魚)・を持つ・川」を意味する「イペコㇿペッ(ipe-kor-pet)」に由来しています。町内にはパンケ(下の)とペンケ(上の)二つのエベコロベツ川が流れています。

豊富町のふるさと納税

礼文町の由来・起源

アイヌ語で「沖の・島」を意味する「レプンシㇼ(repun-sir)」に由来しています。

礼文町のふるさと納税

利尻町の由来・起源

アイヌ語で「高い・島」を意味する「リシㇼ(ri-sir)」に由来しています。利尻島の中央に標高1,721mの利尻山がそびえ立つことから「高い山のある島」と訳せます。

利尻町のふるさと納税

利尻富士町の由来・起源

アイヌ語で「高い・島」を意味する「リシㇼ(ri-sir)」に由来しています。町名は利尻山の通称「利尻富士」から付けられました。

利尻富士町のふるさと納税

幌延町の由来・起源

アイヌ語で「大きい・野原」を意味する「ポロヌㇷ゚(poro-nup)」に由来しています。「大平原」を意味するように、広大な原野と山林を有しています。特にサロベツ原野(23,000ヘクタール)は広大で、利尻礼文サロベツ国立公園の入口でもあり、その公園は山岳、海岸、湿原を含む国有数の自然公園です。その他に、「大きい・野の出っ張り(川の湾曲)」を意味する「ポロヌタㇷ゚(poro-nutap)」の説があります。

幌延町のふるさと納税

美幌町の由来・起源

アイヌ語で「水・多い(多くの清流が合流して水量が豊富なところ)」を意味する「ペポロ(pe-poro)」に由来しています。その他には「石・多い」を意味する「ピポロ(pi-poro)が転訛した説があります。明治初期までは、カタカナで表記していましたが、明治8年5月に漢字の「美幌」に統一されました。美幌町には大小合わせて60本を数える美しい川が流れ、とりわけ美幌峠を源とする美幌川は「母なる川」として多くの恵をもたらしてきました。

美幌町のふるさと納税

津別町の由来・起源

アイヌ語で「二つの・川(津別川と網走川)」あるいは「山の走り根(の下の)・川」を意味する「トゥペッ(tu-pet)」に由来しているといわれています。

津別町のふるさと納税

斜里町の由来・起源

アイヌ語で「葦の生えた湿原」を意味する「サㇻ(sar)」に由来しています。

斜里町のふるさと納税

清里町の由来・起源

清里町は、清らかな里であるという意味と、小清水村と斜里町から分村したという歴史を将来に残す意味(「清」は小清水の清、「里」は斜里の里)を兼ねて名付けられました。

清里町のふるさと納税

小清水町の由来・起源

明治24年の駅逓所設置の際、止別川の支流「ポンヤンペッ(アイヌ語で「小さな・冷たい・川」を意味する)」に湧き水があり、きれいに澄んだ冷たく美味しい飲み水として旅人らに親しまれていました。意訳して駅逓の名前を「小清水」と定めたことに由来しています。

小清水町のふるさと納税

訓子府町の由来・起源

アイヌ語で「黒い・もの(川)」を意味する「クンネㇷ゚(kunne-p)」に由来しています。当時はやち川で水が黒かったため。

訓子府町のふるさと納税

置戸町の由来・起源

アイヌ語で「川尻に・獣皮を乾かすその張り枠・ある・川」を意味する「オケトゥウンナイ(o-ketu-un-nay)」に由来しています。明治30年の地図にオケトゥウンナイの記載があります。南の山から流れている緑川がオケトゥウンナイと呼ばれており、それが転訛したといわれています。

置戸町のふるさと納税

佐呂間町の由来・起源

アイヌ語で「葦原・にある・沼(カヤある沼)」または「湿沢のある沼」を意味する「サㇻオマト(sar-oma-to)」に由来しています。転訛して「サロマ」となり、大正4年に「佐呂間町」と和文に転用したものです。

佐呂間町のふるさと納税

遠軽町の由来・起源

アイヌ語で「眺める・いつもする・ところ(臨眺するところ)」を意味する「インカㇻウㇱイ(inkar-us-i)」に由来しています。西の山からの突出部が駅のすぐそばまで、目のくらむような直立の大岩壁になって出ていて、その突端に展望所が見えます。アイヌ時代はそこから見張りをしていたようです。

遠軽町のふるさと納税

湧別町の由来・起源

アイヌ語で「鮫(チョウザメ)」を意味する「ユペ(yupe)」に由来しています。昔、湧別川河口から近海にかけて相当数のチョウザメが生息していたことから、この名で呼ばれていたという説です。他には、「温泉の川」を意味する「ユペッ(yu-pet)」や、「魚・豊富である・ところ」を意味する「イペオッイ(ipe-ot-i)」が転訛した説があります。

湧別町のふるさと納税

滝上町の由来・起源

渚滑川上流にある「ポンカムイコタンの滝」の上部に市街地があることに由来。大正7年に渚滑村から分村して滝上村となり、昭和22年から町制。

滝上町のふるさと納税

興部町の由来・起源

アイヌ語で「川尻・互いに・くっつく・もの(川)」を意味する「オウコッペ(o-u-kot-pe)」に由来しています。以前は、興部川、藻興部川が合流しオホーツク海に注いでいたところから、このように呼んでいたとされています。

興部町のふるさと納税

西興部村の由来・起源

アイヌ語で「川尻・互いに・くっつく・もの(川)」を意味する「オウコッペ(o-u-kot-pe)」に由来しています。以前は、興部川、藻興部川が合流しオホーツク海に注いでいたところから、このように名付けられました。興部の西方に位置するので、西の字を冠して「西興部」となりました。

西興部村のふるさと納税

雄武町の由来・起源

アイヌ語で「川尻・塞がる・ところ」を意味する「オムイ」に由来します。雄武川の河口は、嵐の時には川から流れ出る水よりも、海から打ち寄せる波のほうが強く、河口が塞がってしまうため、このような名称がついたといわれています。

雄武町のふるさと納税

大空町の由来・起源

平成18年3月31日、大空町は女満別町と東藻琴村が合併して誕生しました。大空町という名称は、澄み切った大空、そしてその大空の下に広がる実り豊かな大地のもとで、住民が夢や希望を持ち、晴れ晴れした気持ちで暮らしていくことを(意味する。)めざすものとして命名されました。

大空町のふるさと納税

豊浦町の由来・起源

かつては弁辺(べんべ)と呼ばれていましたが、「べべ」は北海道方言で女陰を意味するので、昭和7年に豊浦村に改称しました。弁辺(べんべ)とは、アイヌ語で「水・ある・ところ」を意味する「pe-un-pe」、「水・水・川」を意味する「pe-un-nay」、「水・水」を意味する「pe-pe」が転訛した物です。

豊浦町のふるさと納税

壮瞥町の由来・起源

アイヌ語で「滝・川」を意味する「ソペッ(so-pet)」に由来しています。洞爺湖の水は南東から流れ出して滝となり、さらに長流川に入っていきます。その川がソペッと呼ばれ、壮瞥と当て字されたものです。

壮瞥町のふるさと納税

白老町の由来・起源

アイヌ語で「虻・多い_ところ」を意味する「シラウオイ(siraw-o-i)」に由来しています。その他、「潮汐多きところ」を意味する「シララオイ(sirara-o-i)」の説もあります。

白老町のふるさと納税

厚真町の由来・起源

アイヌ語で「向こうの・湿地帯」を意味する「アットマㇺ(at-tomam)」、「モモンガ・泳ぐ」を意味する「アッマ(at-ma)」、「オヒョウニレ・ある・ところ」を意味するアッオマㇷ゚(at-oma-p)に由来する説があります。諸説あり、特定は困難です。

厚真町のふるさと納税

洞爺湖町の由来・起源

洞爺はアイヌ語で「湖・の岸」を意味する「トヤ(to-ya)」に由来しています。平成18年3月27日に虻田町と洞爺村が合併して「洞爺湖町」として生まれ変わりました。

洞爺湖町のふるさと納税

安平町の由来・起源

アイヌ語で「片側・崖」を意味する「アㇻピラ(ar-pira)」や、「一面・崖の・川」を意味する「アㇻピラペッ(ar-pira-pet)」に由来するといわれています。

安平町のふるさと納税

むかわ町の由来・起源

2006年3月27日に穂別町・鵡川町が合併し、新町「むかわ町」が誕生しました。鵡川にはアイヌ語で「塞がる川」を意味する「ムッカペッ」や、「つるにんじんあるところ」を意味する「ムㇰアプ(muk-ap)」、「水の湧く」を意味する「ムカ」など、諸説あります。

むかわ町のふるさと納税

日高町の由来・起源

以前は右左府村(ウシャップ)と呼ばれていましたが、昭和18年、日高村と恐ろしく大きな名(国名「日高」は、「土地南向きにして靄(もや)等も早く相晴れ、天日を早くより仰ぎおり候こと故」 という松浦武四郎の国名建議書により付けられた)に改められました。旧日高町・門別町による飛び地合併の協議を経て、2006年(平成18年)3月1日に廃置分合(新設合併)されて「日高町」となりました。

日高町のふるさと納税

平取町の由来・起源

アイヌ語で「崖・の間」を意味する「ピラウトウル(pira-utur)」に由来しています。

平取町のふるさと納税

新冠町の由来・起源

アイヌ語で「木の・皮(楡皮)」を意味する「ニカㇷ゚(ni-kap)」に由来しています。元来は「岩下」を意味する「ピポㇰ(pi-pok)でしたが、文化6年に新冠に改称されました。この地のアイヌが着物や薬の材料として暮らしに欠かせなかった楡皮の衣を着ていて、その色が茶褐色を帯び、他の地のアットゥシと色が異なっていたため。

新冠町のふるさと納税

浦河町の由来・起源

アイヌ語で「霧・川」を意味する「ウラㇻペッ(urar-pet)」や、「腸」を意味する「オラカ」、「雲靄立ち昇るところ」を意味する「ウラカ」に由来しているなど、諸説あります。

浦河町のふるさと納税

様似町の由来・起源

アイヌ語で「朽ち木のあるところ」を意味する「サンマウニ」に由来しています。その他、「カワウソ・ところ」を意味する「エサマンイ(esaman-i)」、「カワウソ・川」を意味する「エサマンペッ」、「横になっている・もの(川)」を意味するサマンイ(saman-i)などの説があります。

様似町のふるさと納税

えりも町の由来・起源

アイヌ語で「岬(突き出た頭)」を意味する「エンルㇺ(enrum)」に由来しています。その他に、「ネズミ」を意味する「エルㇺ(erum)」が転訛した説があります。

えりも町のふるさと納税

新ひだか町の由来・起源

「新ひだか町」は、平成18年3月31日にそれまでの「静内町」と「三石町」が合併して新たに誕生した町です。日高の由来は、昭和18年、日高村と恐ろしく大きな名(国名「日高」)は、「土地南向きにして靄(もや)等も早く相晴れ、天日を早くより仰ぎおり候こと故」 という松浦武四郎の国名建議書により付けられました。

新ひだか町のふるさと納税

音更町の由来・起源

アイヌ語で「頭髪・のところ(毛髪生ずる)」を意味する「オトㇷ゚ケ(otop-ke)」から転訛したもので、音更川と然別川の支流がたくさん流れているところからついたと言われています。

音更町のふるさと納税

士幌町の由来・起源

アイヌ語で「広大な土地」を意味する「シュウウォロー」の発音が転訛したといわれています。その他に「鍋・を水につけた・川」を意味する「スオルペッ(su-oru-pet)」、「滝の如き急流」を意味する「スポロ(suporo)」などの説があります。

士幌町のふるさと納税

上士幌町の由来・起源

士幌はアイヌ語で「広大な土地」を意味する「シュウウォロー」の発音が転訛したといわれています。その他に「鍋・を水につけた・川」を意味する「スオルペッ(su-oru-pet)」、「滝の如き急流」を意味する「スポロ(suporo)」などの説があります。川の上流に位置することから「上士幌」と名付けられました。

上士幌町のふるさと納税

鹿追町の由来・起源

アイヌ語で「鹿捕り柵・ある・もの(川、所)」を意味する「クテㇰウㇱイ(kutek-us-i)」に由来しています。クテㇰは鹿を捕るために柵を作り、鹿をそこに追い込んで、仕掛け弓で捕る施設でした。鹿追はこれを意訳した地名です。

鹿追町のふるさと納税

新得町の由来・起源

アイヌ語で「肘(山の突出部分)」を意味する「シットク(sitok)」に由来しています。新得山が佐幌川の方に肘のように張り出ている地形を言い表したものといわれています。その他に、「宝物を入れる漆器」を意味する「シントコ(sintoko)」の説もあります。

新得町のふるさと納税

清水町の由来・起源

アイヌ語で「清澄な・川」を意味する「ペケㇾペッ」の意訳したものです。明治32年に開設した「ペケレベツ駅逓」の取扱人である村山和十郎が、人舞村、屈足村を直轄していました。しかし、駅名と一致せず行政・経済的に不便なため、昭和2年9月25日に「清水村」と改め、昭和11年1月1日より町制が施行され「清水町」となりました。

清水町のふるさと納税

芽室町の由来・起源

アイヌ語で「湧泉池・のところの・川(川の源の泉や池から流れてくる川)」を意味する「メㇺオロペッ(mem-oro-pet)」に由来しています。

芽室町のふるさと納税

中札内村の由来・起源

アイヌ語で「乾く・川」を意味する「サッナイ(sat-nay)」に由来しており、札内川の中流に位置するという意味からなっています。

中札内村のふるさと納税

更別村の由来・起源

アイヌ語で「葦原・川(葦や茅が生い茂る地)」を意味する「サㇻペッ(sar-pet)」に由来しています。その昔、サラベツ川、サッチャルベツ川流域が葦や茅に覆われた平原であったことを意味します。

更別村のふるさと納税

大樹町の由来・起源

アイヌ語で「ノミ・多い・ところ(大木が群生するところ)」を意味する「タイキウㇱイ(tayki-us-i)」に由来しています。

大樹町のふるさと納税

広尾町の由来・起源

アイヌ語で「砥石・の川(砥石がとれる川))」を意味する「ピルイペッ(piruy-pet)」に由来しています。この言葉が変化し、明治2年の国郡制定で広尾郡茂寄村が誕生するまでの間は「ピロー」、「ビロウ」などと呼ばれていました。その他の説として、「蔭・のところ」を意味する「ピㇼオㇿ(pir-or)」、「石・のところ」を意味する「ピオㇿ(pi-or)」、「崖・のところ」を意味する「ピラオㇿ(pira-or)」などの説があります。

広尾町のふるさと納税

幕別町の由来・起源

アイヌ語で「後(山の方) ・にある(入っている)・川」を意味する「マㇰウンペッ(mak-un-pet)」に由来しています。山側を回ってまた本流に合流している場合に、その分流をマㇰウンペッと呼んでいたようですが、どこの川かは不明です。

幕別町のふるさと納税

池田町の由来・起源

明治29年に鳥取藩主の池田侯爵によって、本格的な開墾が始まったことに由来しています。

池田町のふるさと納税

豊頃町の由来・起源

アイヌ語で「多くの蕗(大きなフキが生えていたところ)」を意味する「トエコロ」に由来しています。

豊頃町のふるさと納税

本別町の由来・起源

アイヌ語で「小さい・川」を意味する「ポンペッ(pon-pet)」に由来しています。

本別町のふるさと納税

足寄町の由来・起源

アイヌ語で「沿うて下る・川」を意味する「エソロペッ(esoro-pet)」に由来しています。釧路方面から阿寒を越えて、この川に沿って十勝または北見に出たためです。

足寄町のふるさと納税

陸別町の由来・起源

アイヌ語で「高いところ・にある(に入っている)・川」を意味する「リㇰウンペッ(rik-un-pet)」に由来しています。その他に「高危川」と言う意味の「リクンペッ(ri-kun-pet)」という説があります。昭和24年以前は淕別(リクンベツ)でした。

陸別町のふるさと納税

浦幌町の由来・起源

アイヌ語で「川芎多きところ(川尻に大きな葉が生育するところ)」を意味する「オラㇷ゚オロ(orap-oro)」に由来しています。その他に、「霧・多い」を意味する「ウラㇻポロ(urar-poro)」の説があります。

浦幌町のふるさと納税

釧路町の由来・起源

江戸初期に松前藩が「クスリ場所」として拠点を置いた地で、「クスリ(kusuri)」に由来する地名。音の似た「釧(くしろ)」の字が当てられ、明治に入って「釧路村」と命名された。クスリの意味は、アイヌ語の「クㇱル(kus-ru:通る・道)」や「クスリ(kusuri:温泉・薬)」「クッチャロ(kutcaro:のど)」など諸説あり。

釧路町のふるさと納税

厚岸町の由来・起源

アイヌ語で「オヒョウニレの皮・を剥ぐ・いつもする・ところ」を意味する「アッケウㇱイ(at-ke-us-i)」や、「オヒョウニレ・下の・沼」を意味する「アッケㇱト(at-kes-to)」、「牡蠣の漁場」を意味する「アッケㇱ(akkesi)」に由来する説など、諸説ありますカストリクム号の航海記録では、当時のアイヌが自らの土地を「アッキス(オランダ語発音)」と呼んでいたことが記録されています。

厚岸町のふるさと納税

浜中町の由来・起源

アイヌ語で「砂浜・の中央」を意味する「オタノㇱケ(ota-noske)」に由来しています。元来の浜中は、浜中湾の西岸中央、霧多布の北の所です。

浜中町のふるさと納税

標茶町の由来・起源

アイヌ語で「大・川・岸」を意味する「シペッチャ(si-pet-ca)」に由来しています。「大きな川のほとり」のことで、語源のとおり町の中心に母なる川「釧路川」をはじめ、別寒辺牛川、西別川の三大河川により産業と開拓の歴史が刻まれています。

標茶町のふるさと納税

弟子屈町の由来・起源

アイヌ語で「梁・上、岸・上、岸」を意味する「テㇱカカ(tes-ka-ka)」に由来しています。この場所は現在の摩周湖観光協会付近にあたり、かつては釧路川がその岸を洗っていました。非常に岩の多い急流でしたが、同時に魚のたまり場のようなところでもあったため、アイヌの人達は何とかこの魚を獲りたいと網をかけようとしました。ところが、岩が多くついに杭を打ちこむことができなかったそうです。アイヌの人達は「せっかくたくさんいる魚をとる仕掛けもできない岩磐の上だ」と嘆きました。

弟子屈町のふるさと納税

鶴居村の由来・起源

国の特別天然記念物「タンチョウ」の生息繁殖地であることから名付けられました。

鶴居村のふるさと納税

白糠町の由来・起源

アイヌ語で「岩礁・に溢れる」を意味する「シラㇻイカ(sirar-ika)」、「岩・重なりあう」を意味する「シラㇻウカウ(sirar-ukaw)」、「岩・を越える・ところ」を意味する「シラㇻイカㇷ゚(sirar-ika-p)」、「岩・の上(岸)」を意味する「シラㇻカ(sirar-ka)」に由来する説など、諸説あります。

白糠町のふるさと納税

別海町の由来・起源

町最大の河川である西別川の河口が大きく曲がっていることから、アイヌ語で「川・を折る(川の折れ曲がっている)」を意味する「ペッカイェ(pet-kaye)」に由来しています。

別海町のふるさと納税

中標津町の由来・起源

中標津とは、日本語の「中」とアイヌ語で「大きな川」を意味する「シペッ」に当て字した「標津」を組み合わせたものです。

中標津町のふるさと納税

標津町の由来・起源

アイヌ語で「大・川」を意味する「シペッ(si-pet)」に由来しており、元禄年間に松前藩から幕府に差し出された絵図には「ちべ内」と記され、明治2年に標津の漢字が当てられました。その他には、「鮭・多くいる」を意味する「シペオッ(sipe-ot)」の説があります。

標津町のふるさと納税

羅臼町の由来・起源

アイヌ語で「臓腑骨等有るし(獣の骨のあるところ)」を意味する「ラウㇱイ(ra-us-i)」に由来しています。この地一帯はアイヌの狩猟の地であったためこの名が起こったといいます。その他に、同じ「ラウㇱイ(ra-us-i)」で「腸の生ず」、あるいは「低いところ・にある・もの(川)」の説があります。

羅臼町のふるさと納税

色丹村の由来・起源

アイヌ語で「大きい・村」を意味する「シコタン(si-kotan)」に由来しています。

色丹村のふるさと納税

泊村の由来・起源

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泊村のふるさと納税

留夜別村の由来・起源

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留夜別村のふるさと納税

留別村の由来・起源

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留別村のふるさと納税

紗那村の由来・起源

アイヌ語で「浜の方へ出る・川」を意味する「サンナイ(san-nay)」に由来しています。

紗那村のふるさと納税

蘂取村の由来・起源

アイヌ語で「大きい・川・のところ」を意味する「シペッオㇿ(si-pet-or)」に由来しています。大きな川があったため。

蘂取村のふるさと納税

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